▼八木書店代表取締役・八木壯一さんインタビュー
●古書店、書籍卸、出版の三本柱で
私が生まれたのは神保町2丁目で、今の南海堂書店の脇を入ったあたりです。
父は関西の育英を出て、人の紹介で福音舎という新刊屋に入り、昭和4年に東京に出てきて神保町の一誠堂書店に入り、そこに5年いました。一誠堂で最後にやっていたのは、今の書泉グランデのある所にあった一誠堂の支店の支店長です。
その後、父は独立して、最初に事務所を構えたのが三崎町のほうで、それから小川小学校の前に来て、その後に私の生まれた場所に移ったようです。戦争前の最後にいたのはすずらん通りで、六甲書房と古書通信社という看板をかけていました。
父は出征して、その間、叔父がまかされて古書通信社をやっていたのですが、昭和19年の12月にやめて田舎に帰りました。
子供の中では私だけが田舎に疎開してましたが、母と弟と妹は逗子におりました。終戦後、私は関西の小学校から、2年生のときに逗子に出て来て、それからちょっと上野にいて、5年生のときから錦華小学校に通いました。
終戦後、日本のデパートは売るものがなくて困っていた時期がありました。それで各デパートに古書売場が出来たんですが、うちは昭和23年から28年まで上野の松坂屋に出店してました。
昭和28年になるとデパートも売るものがたくさん出てきて、古書店は出なければならなくなって、神保町に戻ってきました。
戦前、店を持ったときから、うちでは出版社の在庫を分けてもらって、それを仲間に卸すという仕事をやってましたが、その仕事は戦後も継続して今にいたってます。戦後は岩崎書店の社長さんと相談しながら新刊の取次も始めました。
新刊の取次は最初は児童書を主体にしてはじめて、それから雑誌なども扱った時期もありましたが、だんだんとうちの現在の主力商品である国文、歴史、宗教、美術などの人文系の書籍を発行している250社くらいの出版社さんの本を扱うようになったというのが現状です。
この新刊の取次を除くと、うちは父が戦前にやっていた「古書店」と「書籍の卸」とそれから「出版」をずっと継続してやっているという点では、取り巻く環境は変わりましたが、やっていることの本質は変わっていないといってもいいかと思います。
●証券会社を経て家業を継ぐ
現在の八木書店古書部がある場所に店が出来たのは昭和37年だったと思います。最初は現在の店の半分の間口でした。
私は昭和36年に立教大学を卒業しましたが、それから1年半くらいは証券会社の金融法人部というところに在籍しました。これはなかなか面白い仕事だったんですが、ちょうどその頃番頭さんのような仕事をしている人がやめまして、どうしようかと考えた末に家業を継ぐことにしました。
入って1年間は叔父のやっている「古書通信」のほうを手伝いました。これは短い期間でしたが、伊藤整の家に行ったりして楽しかったですね。それからは主に卸の仕事のほうをやるようになりました。
弟は学校を出てどこへも行かずにすぐに八木書店に入って、最初から古書部をやってましたが、今の場所に店が出来たのと弟・朗が仕事を始めたのがちょうど同じくらいだったと思います。
●ずっと代表者印を預かったままに
私が八木書店の仕事を始めて2年くらいしたときに、父が十二指腸潰瘍で吐血しまして、輸血で血清肝炎にかかったことがありました。それで父は1年ほど入院してたんですが、その留守中、「八木敏夫」という代表者印を私が預かりました。
(余談ですが、このとき父が入院したのが天城にある天城診療所というところで、ここの先生の話が後に「カンゾー先生」という映画になりました。)
父は1年後に復帰するんですが、1年前に私が預かった「八木敏夫」の代表者印を返せといわないんですよ。ですから、それ以後はずっと私が「八木敏夫」の印を押しつづけていました。
昭和55年だったか、父が70くらいのときに八木書店創立50周年の会が開かれましたが、正式にはそのときに私は社長になって、父が会長になりました。しかしハンコを押すということだけでいえば、それ以前からずっと代表者印を押してましたので、あまり社長になったという実感はなかったですね。
●デパート展の時代
今から考えると父は好きなことをやっていたなあと思います。父は古書展が好きでして、反町さんに引き立てられたということもありますが、昭和36年に白木屋でやった「文車の会」の古書展も父と反町さんらが中心になっておこなったものでした。
白木屋で2回やったその古書展が成功したので、その後、西武デパートでも展覧会をやってくれとの依頼があって、古書展を開きました、あれも盛会で、あの時分で入場者がデパートの前にずらっと並んで待ってましたからね。お客さんたちは、古書展の会場に早く着くには、階段で行ったほうがいいか、エスカレーターで行ったほうがいいか、エレベーターで行ったほうがいいかとさかんに知恵をしぼってましたよね(笑)。
今はあれだけ並ぶということはなくなったんじゃないですか。お客さんの熱気がどうというよりも、当時はいい本が実に非常に安く出てきてましたからね。
父はデパート展が好きで、松坂屋、白木屋、西武、それに高島屋、東急などいろいろなところで展示会を開きましたが、私と弟の目から見るとデパート展というのはあまり面白いものではないなと思ってました。というのはデパート展というのはその場限りで終わってしまうんですよ。逆にいえば、自家目録を作るとお客さんがずっとついてくれるんです。忘れた頃に「あの本ありませんか」というようなことをいってくるお客さんがおります。
デパート展のいいところは新しいお客さんを作るということなんですが、売上の7割から8割くらいは前々からの自分の店のお客さんのものなんです。それだったら自分の店の目録で売った方がいいということになってしまいます。
●目録販売の醍醐味
デパート展はそういうわけで、15年くらい前にやめてしまったのですが、共同でやる展覧会、たとえばABAJなどのほうはずっと続けています。こちらのほうは店同士がお互いの客を紹介しあうとか、新しいお客さんとの出会いとかがありますからね。

うちは20年前くらいからコンピューターを入れて、売り掛け、買い掛けの管理と在庫管理、それにDMの管理を行っています。今は5万人くらいの名簿がありまして、いろいろな学会とか個人客とかの情報が入っています。その名簿をソートして、お客さんにあった目録を届けて買っていただくというのが古書店としては一番おもしろみがあるのではないかなと思っています。
年に一回、国文学関係の目録を出してますし、近代作家の肉筆の原稿などの目録も少なくとも年一回は発行していこうと思ってます。
古書部を改装してからは3階部分を展示会のスペースにして、1、2ヶ月交代で展示会を開くようになりました。今は徳田秋声展をやってます。
●「文車の会」と反町茂雄さんについて
私の父はなにかにつけて反町さんに相談に行ってました。私が大学を出て外国に行きたいと父に言ったときにも、父は反町さんのところへ相談に行って、まず日本のことを知らなくては駄目だと言われたみたいです(笑)。
反町さんの作った勉強会としては、戦前まだ一誠堂の時代に店員を集めて作った玉屑会というのが最初で、独立してから彷書会というのを作り、戦後になって文車の会を作りました、それ以外にも和本研究会というのがあります。
和本研究会は文字通り和本の研究が主体で、文車の会は洋本が主体でしたが、初期の頃は本の勉強というよりも経営の勉強のほうが多かったように思います。
反町さんという人はマンネリが大嫌いで、会を作って10年くらいすると「もうやめよう」と言うんです。それで会員が「やめないでくれ」というと、続けるにあたってはこういう条件があると条件を出し、それがいやな人はやめていくという形になります。ですから10年くらいで会の性格が変わっていくわけです。
文車の会ではよく研修旅行をおこないましたが、反町さんのことだから、なまじのことではすまないんです。まず担当が決められまして、旅行に行く前に調べたことを発表させられて、旅行に行ってからも現地で説明させられます。それを他の観光客が聞いているんです(笑)。帰ってきてからも結果をレポートで提出しなければなりません。大変なんですが人間そういうことでもないと勉強しないのかもしれませんね。
私の父なども一誠堂にいるときから反町さんの勉強会に出てレポートを書かされたくちですが、父は近代の作家の原稿について書いてました。あの時代にそういうことに関心をもっていたのは珍しかったのではないでしょうか。
文車の会の最後の頃には「古文書研究会」とか「古典を読む会」とか分科会がありまして、私は古典を読む会に入ってたんですが、これは担当者が決められると予習をしていって、夜6時に西片の弘文荘に集まって、反町さんがいいと言うまで担当者が影印本を読んでいくんです。その後に反町さんが読んで、読みながら注釈を加えていきます。
勉強会では反町さん自身が予習してきましたから、担当者も予習をしていくしかないんですね。ただ、反町さんは「私たちは学者ではなくて商売人なんだから、概要が分かればいいので、細かいことまでは分かる必要がないんです」というのが基本的なスタンスでした。きちんと勉強していきさえすれば、内容について反町さんがとやかく言うということはまったくなかったです。細かいことを詮索しなくてもいいという姿勢は徹底していましたね。
反町さんのように徹底していて、リーダーシップを取れる人物はもう出てこないでしょうね。
●出版について
私どもの出版で一番大きな仕事で、また世間で一番評価されているのは天理図書館の古典籍の影印本でしょうね。これは20年くらいかかってます。
影印している本がいいものを選んでいるというのがまず第一なんですが、もうひとつ、影印のやり方と姿勢とがうちは他とは違っているんです。とにかく原本の学術的に必要な個所を写真で精確に出さなければなりませんからね。
最初は東京でやろうと思っていました。しかし影印する本というのが国宝だとか重要文化財とかですから、新幹線がひっくり返っても中身は大丈夫だというような頑丈な手提げカバンはないかと探したりしてたんですが(笑)、最終的には現地の天理時報社という印刷所でやってもらうことになりました。
この天理時報社に中根さんという方がおられまして、この方はもともと文化財研究所にいた方で、写真工程について非常にこだわりがあって、レンズを通せば通すほど写真は歪みが出てくるので、原本を全部製版カメラで直に撮影しようということになりました。
善本叢書の成功のもう一つの原因は天理図書館の木村三四吾先生の眼と編集委員などの先生方の努力があったと思っております。
私どもは天理図書館の善本叢書をやったおかげで、その後、正倉院の仕事や加賀前田家の尊経閣の仕事などをやることになりましたが、これは影印でできるだけ精確に印刷が出るようにしたいと思って努力して得たノウハウと姿勢が評価されたんだと思ってます。
酸性紙の問題が出たときに、うちはそれ以前から三菱製紙で特別に漉いた上質紙を使っていましたので、中性紙でやりましょうということで実験を重ねて、すぐに切り替えることができました。
八木書店の出版では天理図書館の仕事から始まった影印本の流れがひとつあって、もうひとつの流れは近代文学館と提携して雑誌「新潮」からはじまった近代のもののマイクロフィルム化やCD-ROM化などです。
雑誌のマイクロフィルム化についても、今までのやり方は一冊の雑誌をそのまま写真にとって作ってしまうというのが多かったんですが、うちは少なくとも2冊以上の雑誌をつき合わせて、できるだけ底本を作ろうという考えでやってます。
ご存知のように、昔の雑誌というのは写真なんかのページが切り取られていたりすることが多く、また増刷したときに口絵の解説の位置が移動したりしている場合があります。ですから、一冊だけ見て、それで復刻を作ってしまうのは危険なんです。
影印本で培ったノウハウで出版やってますから、うちは近代のものを作るときにもいろいろな点で普通の基準よりもうるさいことをいうんですが、いいものを作るにはやはりそういうことが必要なのではないかと思ってます。
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[八木書店概要]
●八木書店
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定休日 日曜・祭日
※ワンポイント 国文学・近代文学をはじめとして人文関係の老舗。
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■取材NOTE
インタビューにもある通り、八木書店の情報化は非常に早かった。まだパソコンが普及する以前にオリベッティのオフィスサーバーを導入してシステム化を行い、その後併行してPCで社内LANを組んでいたというから、これは古書業界はいうまでもなく、日本の企業の中でも相当に早い時期のIT化といってもさしつかえないだろう。現在では古書の1点1点にバーコードをつけて、完全な単品管理が実施されている。
書籍のデジタル化という点でも八木書店は業界に先駆けている。「文章倶楽部」や「太陽」など近代の雑誌の膨大なバックナンバーを次々にCD−ROM化して、研究者たちの渇を癒してきたことはよく知られている。
神田古書店連盟のホームページ「本の街・神田」もこのようにコンピュータに理解のある八木壯一社長が音頭をとって生まれたものである。八木氏がいなければおそらく「本の街・神田」は現在の姿にはなっていないだろう、というか、存在していたかどうかもあやしい。ひいてはこの「神保町ドットコム」もこの世に生を享けていなかった可能性がある。八木社長は神田古書店街デジタル化の推進役であり、生みの親といってもいい。
※なお、インタビューで言及されている反町茂雄氏の白木屋での古書展については、八木書店が刊行した「CD-ROM版 弘文荘待賈古書目」(反町氏発行の古書目録を網羅している)のなかにこのときの目録が収録されており、どのような本がいくらで販売されていたかなどをすぐに検索することができる。
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