所蔵機関訪問
第一回 弥生美術館


日本に美術館は数多くあるが、弥生美術館はその中でももっともユニークな美術館の一つといっていい。ここが収蔵し展示しているのは明治・大正・昭和の主に雑誌を彩った挿絵などの出版美術関連の作品で、他にこのような収蔵機関はない。(最近、各作家別の美術館は少しずつ出てきているが)。

開館は昭和59年6月1日。設立者は弁護士の鹿野琢見氏である。

鹿野氏は昭和4年、9歳のときに、当時一世を風靡していた挿絵画家・高畠華宵の「さらば故郷!」という一枚の絵を見て感動。これが運命的な出会いとなり、やがて高畠華宵の晩年を看取ることになった。鹿野氏は高畠華宵作品の多くを収蔵し、華宵の死後はその作品の著作権継承者となった。このコレクションが弥生美術館の土台となっている。

その後、コレクションは拡大し、大正ロマンの源流・竹久夢二とその流れを組む画家の蕗谷虹児、加藤まさを、中原淳一ら、さらに小村雪岱、木村荘八、河野通勢らが加わった。竹久夢二のコレクションは弥生美術館から独立して「竹久夢二美術館」となったほど充実している。さらに「立原道造記念館」も併設されて、現在、この三館が並んでいる。

    

弥生美術館の歩みについては、別記した弥生美術館企画展のタイトルをみていただくのが一番早い。それらの企画展が開催されたときに作られたポスターの多くも画像として撮影してきたので、それらがどのような展示会だったかの雰囲気がつかめるはずである。

弥生美術館の学芸員・中村圭子氏によれば、来館者は女性が6割、男性が4割くらいで、男性の多くは奥さんにいっしょにきた夫婦連れとのこと。一番多いのは20代から30代くらいの女性で、とくに漫画に関心をもっている女性が多いとのこと。

これまでの企画展でもっとも来館者が多かったのは「橘小夢」の展覧会だったが、これは中村氏にとっても意外だったという。橘小夢という画家はまったくといっていいほど無名で、ほんのひとにぎりの人しか名前も聞いたことがないはずだからである。橘の作品は戦前の発表時に発禁となったことがあり、それが弥生美術館で初めて公開されるということでマスコミにニュースが流れ、この「発禁」という言葉に人々が反応した結果、予想外の来館者となったとのことだが、展示を見た人々は、発禁とかに関わりなく、この橘小夢という忘れられた芸術家の作品そのものに強く引かれたらしく、展示会の目録はすぐに売りきれてしまった。

この美術館の特徴はリピーターが多いということ。竹久夢二に引かれて竹久夢二美術館に足を運んだ人が、弥生美術館のほうで展示されている夢ニ以外の出版美術にも目を開かれるということがよくあるらしい。戦後の人にとっては、ここで展示される作者たちはほとんどが未知の人々だが、それだけに未知との遭遇が思いがけない新鮮な発見をもたらしているようだ。

設立者の鹿野氏は、美術館が油絵などのタブローばかりを収蔵して、雑誌の挿絵など、その時代に多くの人に愛され影響を与えたグラフィック作品は散逸したままになっているのはおかしいとかねてから考えていたという。弥生美術館はグラフィック作品のアーカイブとしての役割を十分に果たしているが、それだけでなく、年4回の企画展の開催によって、忘れられていた戦前の作品群に光をあて、新しい多くのファンを掘り起こす起爆剤にもなっている。